
(財)キリン福祉財団 常務理事・事務局長 金沢 俊弘
誤解は,理解されれば解ける。偏見は,理解されても解けない。偏見が高じたのがステグマ,家畜に焼きごてで押す烙印の意味で,人にあてはめれば差別となる。ステグマを押されると,社会参加が難しい。これを「社会的不利」といい,障害と訳すこともできる。障害者は,機能的障害と社会的不利という二重の障害を負い,最低限の社会参加すら果たせない場合が多い。この社会的不利を社会に訴え,軽減する活動がわが財団の仕事だと思っている。
社会的不利の範囲を障害者だけでなく,高齢者や児童へと広くとらえた。難しいのは,事業の絞り込みである。これは,「福祉の谷間」という補助線を使い全事業を見直した。障害者就労支援事業として,国の「ジョブコーチ制度」が発足したが,問題点は福祉と労働の狭間的性格(福祉の谷間)をもつことである。ジョブコーチの資質を高める教育が成功の鍵であるが,障害者の就労率に重点を置き過ぎ,障害者のニーズの把握や就労後のケアが薄い。そのため,ジョブコーチ養成の民間カリキュラムの作成と養成講座の助成事業をスタートさせた。いま,大変な引き合いである。難病や障害者の自立支援,家族介護者のリフレッシュ事業,子育て支援事業も「福祉の谷間」という補助線で事業を強化した。他方,中途半端な事業や表彰事業はすべて中止し,4,000万円以上を削減した。
改革はどこから始めるか。ミッションの見直しが最重要策と分かっていても,これには経験と知識が必要であるから,できるところから始めた。「公正」「効率」「効果」の追求を,改革の基準(改革の御三K)と位置づけ,事務局メンバー5名の重要コンセンサスとした。まず寄附行為の改定を行い,理事・評議員の選考委員兼任を禁止し,選考委員5名のうち4名を改選した。欠席の多い理事・評議員は後進に道を譲っていただいた。職務権限規定や資産運用規定も手直しし,理事会,選考委員会,理事長,常務理事(事務局)の権限と義務を明確にした。ダブリ作業は徹底的に改善し,資料のデータベース化,経理の機械処理の実施も行い,情報開示も進めた。年間作業時間が200時間削減された。助成金の先方での使途についても,先方とコスト削減を進め,事業評価を厳しくした。助成先もわれわれも,コストに甘いことが分かった。4つの助成事業で,1,000万円以上が削減でき,おかげで事業を中止せずにすみ感謝された。
いちばん厄介であったのは,事業精度の向上である。自主事業である「家族介護者リフレッシュ事業(旅行招待事業)」は,代理出席が多く手を焼いた。招待者の推薦元である全国の社会福祉協議会・市役所を訪問して事業主旨を説明し,胸襟を開き,あらためて賛同していただいた。財団の担当者3名で2年間かかった。公募の助成金の手渡しは,出捐者であるキリンビールの全国の地区本部長・支社長にお願いし,彼らが財団とともに助成先を訪問し,目録を手渡す方式とした(従来は銀行振込)。助成先も驚き・喜び,その姿にキリンビール関係者も感動し,出捐者のなかに多くの財団理解者をつくることができた。
いま,当財団に来てから3年が経った。
(財)助成財団センター 専務理事 堀内生太郎
2004年3月19日に開催された助成財団センターの理事会と評議員会において,今年度の事業計画が承認されたので,その概要をお知らせする。当センターは,1988(昭和63)年に設立以来,日本の民間助成財団の情報センターとして,会員財団の協力を得て助成情報・資料の収集に努め,これら情報を出版物やホームページ等で公開するとともに,助成財団の社会的役割を広く社会に対し発信してきた。
今日,日本経済は未曾有の不況下にあり,長引く低金利政策は財団の運営を著しく困難にしているが,当センターの社会的役割の重要性はいささかも変わることがない。
2004年度の重点施策このような情勢下にあって,当センターはこれまでと同様,設立時の基本理念に基づき事業の遂行に努めており,2004年度の実施事項としては,特に次の2点に重点をおき,事業計画を策定した。
1.センターの財政基盤の確立
会員や社会が当センターに求めているニーズを把握し,積極的に対応していく中で財政基盤の確立を図る。
2.公益法人制度改革に対する助成財団としての取組み強化
現在進行中の公益法人制度改革に際して,助成財団特有の問題を調査研究し,積極的に提言活動を行う。
1.情報整備事業
(1)個別助成資料収集整備
助成に関する個別情報収集のためのアンケート調査と関連資料の収集整備を行う。特に,本年度からは新たに民間助成研究成果概要情報の収集および国立情報学研究所への有料提供に取組むとともに,作業の迅速化,合理化を推進する。
(2)資料室の整備・管理
ウエブの飛躍的な発達で資料蓄積のあり方に変化が生じているが,文書資料も歴史資料という観点から重要であり,わが国の助成財団の歴史における当センターの役割を認識し,新しい時代の資料室の在り方を検討する。
(3)コンピュータによる情報システムの整備・管理
コンピュータによる助成情報の収集,提供をはじめ,センター業務のより一層の効率化を図るため,機材を含むシステムの整備強化をはかるとともに,適切な維持管理を行う。
なお本事業は,主として特定基本財産(助成活動情報整備基金)の運用資金と,「情報整備プロジェクト」として有志会員から特別の支援を受けて実施しているものである。
2.情報提供事業
(1)助成団体要覧の出版
本年度は「助成団体要覧」の発行年ではないが,特に2004年度版の定価改定(7,800円から9,800円にアップ)による普及部数の影響等に注視し,次年度発行の内容,普及方法等についての検討に着手する。
(2)助成金応募ガイドの出版
これまで毎年「助成財団 募集要覧」を発行してきたが,2004年度版は「助成財団 研究者のための助成金応募ガイド」と「助成財団 NPO・市民活動のための助成金応募ガイド」の2冊に分けて刊行した。本年度はその普及状況の推移を分析し,内容の充実を図るとともに,出版時期等を再検討し,普及促進に努める。
(3)その他の出版事業
2000年に発行した英文要覧の改訂版を含む新規出版物の作成を検討し,必要に応じて遂次実施する。
(4)助成資料・情報の提供
国立情報学研究所からの要請により,研究成果概要に関する情報の有料提供を開始する方向で細目の検討を行うとともに,年度内の実施を目指す。
3.調査研究事業
助成財団特有の事項についての調査
研究活動を行う。具体的には助成関係データの標準化および公開基準等についての調査研究に着手する。
その他,必要に応じて助成財団運営に関する各種研究会を,随時開催する。
4.研修・相談事業
(1)研修・セミナー
前年度に引き続き,テーマの選定に留意しつつ積極的に開催する。また,研修テキストの充実を図るとともに,セミナー等の内容の公開に努める。
(2)相談業務
本年度からは当センターのホームページに会員専用の相談コーナーを開設するほか,資料の整備を図り,会員とのネットワークを強化するなど,最新の情報の収集に努めるとともに,相談機能の向上を図る。
5.広報事業
(1)制度改革に関する提言活動
調査研究活動等と連携して,公益法人制度改革に対する助成財団としての意見を,必要に応じて随時発信する。
(2)JFC Views(広報誌)発行
前年度に引き続き助成財団活動のオピニオン誌として内容の充実を図り,マスコミ等発送先の選定を強化する。
(3)メールマガジンの発行
メールマガジンの内容充実とともに,影響力の強化拡大を目指して配信先の拡大に努める。
(4)ホームページの充実
助成情報以外に会員専用のコーナーを新設し,会員の便を図るほか,会員やセンターの最新の活動情報の社会に対する発信力を強化する。
6.共同調整事業
(複数の財団等が特定のテーマについて助成する場合,当センターがコーディネーターとして調整を行う事業については,会員財団の要請等必要に応じて随時実施する。
7.その他事業
(1)国内外の諸団体との交流促進
公益法人協会,日本NPOセンターなど,国内外の諸団体との交流や提携を強化し,情報交換を通じ,助成財団活動の向上を図る。
(2)ホームページパックの開発,販売推進
会員財団の情報公開の便を図るために,センターでは「ホームページパック」を開発し,普及を図ってきた。
本年度は国立情報学研究所への従来からの決定課題情報提供に加え,研究成果概要情報データベース構築の移管を想定し,また公益法人制度改革での情報公開の動きにも呼応して,新しいホームページパックの開発と,会員外も含めたより一層の普及促進を図る。
(3)その他
その他,センター業務に関し,諸般の事情を勘案し随時必要な事業を実施する。
ご多分に漏れず,当センターも厳しい財源難に直面しており,有志財団からの特別な支援(情報整備プロジェクト)を得て,収支を償っているのが実情である。2004年度の収支予算の概略は表1のとおりである。
環境変化への対応を目指して前任の浅村専務理事から急遽バトンを引き継ぎ,あわただしく過ぎた1年であった。幸い熊谷康夫,宮川守久両理事に参与として補佐していただいたこと,ベテラン職員の努力とトヨタ財団からの強力な人的支援などで,何とか1年を乗り切ることができた。また,会員をはじめ,多くの方々から励ましの言葉をいただいたことは,大きな励みとなっている。これら関係者の方々に深甚なる謝意を表したい。
季節は春,助成財団界は依然として厳しい氷河時代が続いている。活動資金が減少したとしても,それに倍する創意工夫によってプログラムを改善し,社会の発展に貢献するのが助成財団に携わる者の役割であり責務であろう。
財政逼迫下にあってもなお増え続ける科研費,中曽根首相が提唱した留学生10万人の受入れの実現,NPOに対する政府関係予算の増加など,助成財団を取り巻く社会環境に大きな変化が生じている。
日本経団連が実施した企業の社会貢献部門担当者に対するアンケートの結果で,助成財団が時代の変化に対応しきれていないという回答が多かったことは,われわれ関係者として反省しなければならない。
公益法人制度改革を目前に控え,当センターでは本年度,このような諸問題に前向きに取組み,あるべき助成財団像の模索とその実現に向けて努力していきたいと考えている。
皆様方の積極的なご協力と温かいご支援を切にお願いしたい。
| 1.収入 | ||
| 運用資産収入 | 10,000,000円 | |
| 会費収入 | 20,450,000円 | |
| 事業収入 | 14,100,000円 | |
| 情報整備特別収入(注) | 6,000,000円 | |
| その他 | 450,000円 | |
| ※当期収入 | 51,000,000円 | |
| 2.支出 | ||
| 事業費 | 33,010,000円 | |
| 管理費 | 13,250,000円 | |
| その他 | 2,980,000円 | |
| ※当期支出計 | 49,240,000円 | |
| ※当期収支差額 | 1,760,000円 | |
助成財団センターでは,2004年1月末に,『助成団体要覧2004』を刊行し,その中で「日本の助成財団の現状」として最新の統計を公表しました。すでに当センターのWEBサイト(www.jfc.or.jp)でも全文を掲載しておりますのでご覧になられた方も多いと思います。
毎年の地道なアンケート調査の積み重ねで,統計の母集団こそ前回の622件から今回の652件へと30件ほど増加しましたが,これは単に回答団体数が増えただけのことで,2002年度に新規設立された助成財団はわずか2件と,あいかわらず頭打ちの状態が続いています。
要覧の中では,資産総額と年間助成額についてマクロの統計と上位の20財団のみをご紹介しましたが,ここではもう少し詳しく,上位100財団についご紹介したいと思います(表省略「日本の助成財団の現状」を参照)。
まず資産合計では,2001年度に622財団で約1兆4,358億円であったものが,2002年度は652財団で約1兆4,905億円となりました。その増加分は547億円です。この増加に大きく寄与しているのが12位に登場した田口福寿会(173億円)と13位に登場した石橋財団(169億円)です。これに26位のしずおか産業創造機構(92億円)と36位の材料科学技術振興財団(69億円)までを加えると,これら4財団だけで503億円となります。さらに,50位以下に登場した6財団の資産合計288億円まで加算すると791億円になります。なんとこれだけで先の増加分547億円をはるかに上回ってしまい,その分,既存の財団が資産を減らしてきたように見えます。これは実は,2001年度と2002年度の統計母集団のずれから生じた齟齬なのです。
そこで,あらためて2001,2002の両年度にわたってデータを提供した財団に対象を絞って対前年比較の統計を取り直してみました。その数は569財団になります。結果は,2001年度が1兆3,464億円,2002年度が1兆3,488億円とかろうじて全体では24億円(0.2%)の増加ということが分かりました。
次に,年間助成額の合計について同様に見てみましょう。2001年度には622財団で約503億円であったものが,2002年度は652財団で約521億円となりました。増加分は19億円ですが,2位に登場した東京都私学財団は年間助成額27億円と大きなもので,これだけですでに増加分を上回っています。あらためて両年度で比較可能な569財団に絞ってみると,結果は2001年度477億円,2002年度は468億円でこんどは9億円(1.9%)の減少ということが明らかとなりました。
この1年では,資産こそ減らさなかったものの,助成額は減額せざるを得なかったというのが平均的な財団像のようです。ちなみにこの結果はセンターで過去15年間の連続データをもっている127財団についての分析結果とも一致しています。
さて,平均的な財団像と申しましたが個々を詳細に見ていくと,なかなか大変な財団の台所事情が浮かび上がってきます。
前頁の図1は,先に絞り込んだ569財団について,2002年度の資産総額が前年度よりいくら増えているかを調べ,その増減を2001年度資産で割った値,すなわち増加率を求め,その頻度分布を示したものです。もし前年度より資産が減少していれば,当然増加率はマイナスになります。各階級は以上―未満で区分し,±5%から先は階級幅を変えています。
図の右半分(白抜き)は資産総額が増加した財団,左半分(網掛け)は資産総額が減少した財団で,その合計数は308財団対261財団で,かろうじて資産増加組が勝っています。これが先に見た24億円の増加にも現れているわけです。
次に,同じ方法で年間助成額について増加率を求め,569財団についての頻度分布を示したのが図2です。右半分の助成金の増加した財団が合計216財団であるのに対し,左半分の減少した財団が353財団ということで助成金減少組が勝っている結果となりました。
図2では各階級の刻み幅が,図1より大きくなっていることに注意してください。
前年より30%以上も助成金額を増やした財団が33件ある反面,30%より大きく助成金を減額した財団も41件あったわけです。5%程度の助成金削減はいまやごく普通のことといえるでしょう。


ところで,助成財団の多くは事業の原資を資産の運用利息に依存しており,理屈の上では資産総額の順位と年間助成額の順位とは連動するものと考えられますが,実際には後掲の2つの順位表を比べてみれば明らかなように,かなりの差が見られます。その理由の1つには,助成財団の過半数を占める企業財団の場合,利息収入のみでは事業水準が維持できないため毎年出捐企業からフローの形で助成事業費の補填を受けているということがあります。しかし,もっと大きな理由は,資産のうちに株式が占める割合の多い財団において,設立時の株式を額面で基本財産に組み入れている財団(大半)とこの時の時価で組み入れている財団があるからです。さらに毎期の決算でも,資産総額を時価で表記している場合と簿価で表記している場合とが混在しているからなのです。
現在のところ,助成財団の資産総額の表記については特に法律で決められているわけでもなく,当センターでは開闢(かいびゃく)以来,それぞれの財団の資産表記に関する考え方を尊重し,調査票への回答のとおりの数字を採用してきました。しかし,そのため2つの順位表に著しい差が生じ,毎年どれほどの金額がフローとして財団に注がれているかという,助成財団の活動実態を的確に表す統計もつくれないという悩みがあります。企業会計の方では,今は時価会計をベースに企業の活動実態をより正確に表現することが国際標準となっているようですが,公益法人の制度改革の流れもおそらくそのような路線に沿ったものとなり,いずれ公益法人会計にも時価会計が導入されるでしょう。もっともその場合には,現行の固定的な基本財産の金額を維持するという考え方は意味がなくなり,米国流のぺイ・アウト・ルール*が適用される可能性があります。
助成財団界においても,制度によって強制されるより先に自主的に自らの活動内容の開示にふさわしい数値表現の標準化が図られることを期待します。
* 米国では,連邦税制上の規定により,非事業型の助成財団は,その可処分資産の時価総額の一定割合(現在は5%)を公益目的のために支出しなければならないと定められています。これがぺイ・アウト・ルールと呼ばれるものです。
元京都大学教授,NPO法人 市民環境研究所 代表理事 石田 紀郎
私は京都大学農学部植物病理学という,植物の病気を相手にする研究室を出て,30数年前に助手になった。「病気から植物をどう守るか」,人間を病気から守る上で医薬品があるのと同じように,病虫害から植物を守るために農薬がある。1960年代後半〜1970年代初めの大学院時代は,日本が最大量の農薬を使った時代で,公害問題が噴出して大変な時代であった。「このままでよいのか」というのが,助手になったときに考えたことである。京都・大阪・神戸・奈良の一部の水源である琵琶湖に1977年に赤潮が発生した。私は農学部にいたので農薬の問題がいちばんの関心事ではあったが,その頃から活動の重点を環境問題や公害問題に移し,琵琶湖のことを長期間にわたって研究してきた。琵琶湖の総合的な調査を1980年代半ばに実施して以来20年が経過したのを機に,2003年にトヨタ財団の市民活動助成を受けて,「20年目の琵琶湖調査団」というものをつくり,現在も活動中である。
1980年代は,関西の市民運動に関係してきた。市民運動の中でいろいろ考えているうちに,中央アジアのアラル海の問題にぶち当たり,この15年近くはカザフスタン共和国あたりをフィールドにしてきた。そのため,5年前に農学部を離れて京都大学アジア・アフリカ地域研究科(教授)に移って仕事をしてきたが,2003年3月に定年退官した。
| 「農薬裁判」から「省農薬栽培」へ |
1970年代に「農薬裁判」というものがあった。和歌山県下津町で高校生の松本悟君が,害虫防除のために農薬を5時間ほど散布した後に痙攣を起こして意識不明になり,2日後に亡くなった。当時考えられる最も完全な服装で作業したにもかかわらず中毒を起こしたのは,農薬をまいた者の責任ではなく,農薬の安全性に問題があるとして,松本君の両親が国と会社を訴えたものである。日本で農民が農薬問題を訴えた唯一の裁判であるが,その裁判の傍聴に行ったのがきっかけで,裁判を支える会の事務局を16年にわたり担当してきた。
当時,日本の農業を考えると,機械化・化学肥料・農薬の3点でうまく対処できなかったところに,ある種の悲劇というか問題点があるということから,1975年頃,学内に教官と学生を中心に“農薬ゼミ”という自主的な勉強会ができた。毎週金曜日に開催され,現在も続いているが,その中で「省農薬栽培は可能である」という仮説を立て,農薬裁判を行った松本さんの弟の仲田さんと一緒に,ミカンの省農薬栽培を科学的に立証することに着手した。
農薬なしでミカンを栽培している例はあり,研究例もあった。しかし,農業試験場で20〜30本くらい,大学であれば2〜3本の木でしかやらない。これならば木が枯れても,誰も困らない。従来はそういうところでしか実験が行われてこなかったが,私どもが考えたのは,農家の経営規模で行おうというものであった。
仲田・松本という2人のミカンづくりのプロに指導を受けながら,省農薬栽培の実験を開始した。そこは,1970年代に開墾されたミカン園である。標高300mのところで,山を削って谷を埋め,1つのミカン園ができ,1,000本の苗木が植えられた。現在は木も大きくなり,立派なミカン園になった。作物は,病気になったり害虫も発生する。ミカンの場合は,病気より害虫の方の被害が大きく,機械油をまいて「カイガラムシ」の防除だけは行ったが,最重要害虫は,“ヤノネカイガラムシ”である。もともとは中国から入ってきた外来害虫で,日本には天敵がいないので大発生した。これが発生すると,枝が枯れ,やがて木も枯れてしまう。
| 農薬に代えて害虫の天敵を放つ |
仲田さんたちと一緒に仕事を始めたが,農作業は農家の人に任せて,大学の人間は「病虫害発生と収穫量」についての科学的データを集積することにした。学生諸君と500本の木について,木の下にもぐって虫を数えて,「木が枯れる寸前くらいに害虫が発生したもの」から「害虫はいるけれども問題にならないもの」まで4段階に分けて記録した。いろいろな項目を入れて1本の木につき10個のデータをえられるので,1回現地に行くと5,000個のデータがとれた。これを夏と秋に行うので,年間1万個のデータがたまる。それを20数年続けてきたので,いまコンピュータの中には20数万個のデータがあって,これをどうするのかということが問題である。
1980年から少しずつ「ヤノネカイガラムシ」が増え出し,このままではミカン園が全滅してしまうだろうと思われたので,害虫の天敵を入れることを決意した。天敵は「小さい蜂」だが,天敵を入れるためには害虫がたくさんいるという条件をつくらないと定着しないので,少し使っていた農薬も止めて,害虫を増やした。そして,1986年に天敵の蜂を入れた。その前後の3年は,「木が枯れるのではないか」「飯が食えなくなるのではないか」と思われるくらい害虫が発生し,胃が痛くなるような時期であった。
ところが,天敵が定着し出すと,ものの見事に害虫の数が減ってきた。そして,農薬を少し使っていた頃よりも数が少なくなってきた。蜂は体長1oくらいで,「ヤノネキイロコバチ」と「ヤノネツヤコバチ」という2種類である。この蜂が「ヤノネカイガラムシ」に卵を産みつけ,孵化した幼虫がカイガラムシの体を食べて大きくなり,蜂になって飛び出していく。カイガラムシに穴があいているが,それは蜂が飛び出した跡である。そして,飛び出した蜂が,また若い害虫に卵を産みつけていくという簡単なことだが,これほどうまくいくとは予想もしていなかった。
これは「狼と兎」の関係と同じで,兎が増えてくれば天敵の狼は食べ物がいっぱいあるから増えていく。狼が増え過ぎると,兎は減ってしまうから,狼は食べるものが少なくなって数も減る。狼が減ると兎が増えるということは,生態学の基礎である。
実際にミカン園で行うとなると,気候やいろいろな条件が重なってくるが,木が枯れるほど害虫が増えることはなかった。防除面では,そのへんを実証できた。農水省あたりでもそのような実験を行っているが,5年くらいしか行っていない。5年ではまだ不十分で,行く末を見届けていない。害虫と天敵の関係の科学的データは蓄積できても,実際の応用はできない。
では,環境問題は10〜20年間見て分かるのかというと,まだいろいろなことが課題として残っている。「農薬問題と害虫」あるいは「省農薬栽培」というテーマをまだまだ続けて行きたいと思っているが,こういう研究は大学の研究室単位では,まずできない。それを可能にしたのは,“自主ゼミ”という形で学生諸君が集まって,一緒に働いてくれたからである。農薬裁判で和解したときに,和解金の一部でミカン園に山小屋を建てていただいたが,それまではテント生活や野宿をしてこの仕事をしてきた。“自主ゼミ”であるため,この仕事で学生諸君が単位をとる必要はなかった。もちろん,この仕事の中で博士論文を2人が書き,修士論文を6人,卒業論文を5人が書いている。それらはこの仕事の中から特殊なテーマを見つけて書いたものである。
| “農薬ゼミ”でミカン販売 |
この研究の中で考えたことを,もう少しお話したい。
このような仕事でも,相当な金が必要になる。京都から和歌山まで1回行くのに何万円かかかる。「省農薬ミカン」の栽培の見通しはついたが,このミカンは普通の流通では販売してもらえなかった。日本のミカンの流通は,「外観がきれいか,汚いか」だけで選別される。品質は優れていても品位で落とされてしまい,中身がどうかというのは,その次の問題であった。農園の人たちの生活を支えなくてはならないという問題を抱え,さらに,収益を上げて調査費もここから自分たちで捻出できるような方法がないものかみんなで考えた。
調査から得られる情報を現場で使ってもらうことも大事であるが,それだけでは世の中は変わらない。省農薬栽培をどう経済化していくか,社会全体としての政策化をどうするか,研究者としてそれにどう関わっていくか,悩み抜いた。物を流しさえすればいいのではなく,その物に情報をつけ,情報に物をつけて動かさなければいまの農業が抱えている問題は解決しないのではないか,という結論になり,ゼミ員で販売も行うことにした。
環境問題を情報だけで考えていると,それは逃げられる運動でしかない。逃げられる運動では,なかなか馬力が上がらない。「君たちがミカンを売らなかったら,農園の人は今年は正月を迎えられないぞ!」という,ある種,脅迫的な面もあったが,そのために皆が一致協力して事にあたった。この点が非常に大事なところである。
京都中央卸売市場や小売店の聞き取り調査を行い,団地での嗜好調査などから流通について調べた。その成果は,1984年に「省農薬ミカンの流通する可能性を探る」として発行した。そして,『全国有数のミカン産地,和歌山県下津町で農薬の使用を控えてつくりました。少々見かけの悪いものもありますが,味や安全性に関しては自信をもってお勧めできます。ミカン山からの冬の便りを,ぜひ賞味してください』というチラシをつくり,注文もとった。朝5時に和歌山から来た10トントラックから1,200の箱を下ろし,自分たちで3日間かけて市内配達をし,遠方には宅急便で送った。
省農薬ミカン園の調査には,年に70〜80万円かかる。ミカン販売の利益で交通費と雑費だけは賄えている。寝るのは山小屋やテントなので費用はかからず,食事代はすべて個人負担にし,日当も出さない。京大農薬ゼミには学者や学生だけでなく市民も参加しており,このミカン山まで調査に行った人は250〜300人になっている。じっくり自然を見て,農業現場で調査を行うには,いまの大学はまったく向いておらず,農水省の研究体制も向いていない。そのため,誰も調査を行う人がいない。500本の木で25年のデータをもっているのは,わがグループ以外にはないと自負している。
最近,九州大学の先生がこのデータを,「地球温暖化と昆虫発生に関する研究」に使いたいと申し出があったので,「オープンにしているので,どうぞ」と申し上げた。
民間の助成財団には,ある面で海のものとも山のものとも分からないが,やってみる意味があるということで,環境問題のベースになるようなデータを集める研究に関心をもっていただければありがたい。
東京農工大学名誉教授,市民環境科学ルーム 代表 小倉 紀雄
「市民環境科学」とは,「市民の市民による市民のための環境科学」であり,市民が身近な環境を自ら調べて,得られた結果を整理し,実態を明らかにする活動をとおして,身近な環境から地球規模の環境まで広く考えて,問題解決のための実践活動にまで結びつける,ということである。| 多様なフィールドから学ぶ |
私の出身は東京都立大学理学部の分析化学教室で,学生・大学院時代の指導教官は半谷高久先生といい,自由奔放主義,テーマを与えて「後は自由に勝手にせよ」という先生であった。そのおかげで,自分で考え自由に行った。当時は水が非常に汚れていた時代で,水中の有機物を簡単に測定できる方法がなかったので,「紫外吸光度法による水中の有機物の定量」について検討した。紫外吸光度とCOD(化学的酸素要求量)にはよい相関があることが分かった。東京湾などでCOD総量規制制度が実施され,CODの連続測定が必要になった際に,研究成果の原理はCODに代わるモニター計として活用されるようになった。
それから,「水中の紫外線を吸収する物質」の研究を始め,海水は陸水と違った吸収スペクトルをもち,その原因が臭素イオンであることを初めて明らかにした。研究の方法とフィールドのおもしろさを学んだ時代である。
大学院を出て助手になり,次のテーマとして「東京湾海水中の溶存有機物の生成と分解」を取り上げた。当時の東京湾も大変汚れ,有機物濃度が高く,研究を行いやすいフィールドであった。また,気象庁の「凌風丸」や東京大学海洋研究所の「白鳳丸」などで外洋に出て,有機物濃度を測った。その結果,深海の有機物濃度は一定であることが分かったが,その性質についてまでは明らかにできなかった。有機物の研究は,未解決の課題が多く,学問の奥の深さと難しさ,個人では解決できない問題があることを知った。
1973年,東京農工大学に環境保護学科が設置され,翌年の1974年に移った。学生の指導もあるので,調査の行いやすい河川等の研究をするようになった。水質はまだ非常に汚れていて,24時間測定すると時間によって大きな変動があった。学生の指導は恩師の半谷先生の影響を受け,自由な発想で研究を進めてもらった。その結果,多様なフィールドと物質を対象とする研究テーマを取り上げることになり,優れた結果も得られ,学生に学ぶことが多かった。
その後,さまざまな市民グループや行政との出会いがあり,一緒に環境保全活動をする中で,大学の研究室で得た成果を社会に還元することを心掛けた。市民と行政から多くのことを学んだ。そして,「市民環境科学」を提案・推進し,2003年7月に,「市民環境科学への招待;水環境を守るために」(裳華房)を刊行することができた。2003年3月に退官して,マンションに部屋(市民環境科学ルーム)を借り,学生や卒業生の溜まり場,また市民との交流の場として使っている。
| 水質測定から木炭による水質浄化運動へ |
「淺川地区環境を守る婦人の会」との出会いのきっかけは1984年7月の新聞記事で,「もう少し勉強してみませんか?」と呼びかけたところ,多くの主婦の方が研究室に見えた。話し合いをしているうちに「一緒に水質を測ってみましょう」ということになり,毎月1回,1年間測定し,結果を“汚染マップ”としてまとめた。
さらに,アンケート調査や現地を歩いて調べた結果,川の汚れは自分たちの生活排水によることに気がついた。次世代を担う子供たちに,泳げる淺川を取り戻したいという願いから,試行錯誤した結果,木炭を使って水質浄化をすることになった。当時の農林水産省の杉浦さんが炭を大量に提供してくださり,南淺川に流入する側溝に,こぶし大に砕いて網袋に入れた炭を120s入れた。そして,炭袋を入れた側溝の前後で水質を調べ,炭の効果を確かめながら実験を続けた。さらに,杉浦さんの指導で,自分たちで炭を焼いて補充をした。
主婦のグループが“水質調査を行い汚れの実態を明らかにし,その原因を突き止め,さらに炭を使って浄化をする”という活動は大きな反響を呼んだ。ところが,行政で木炭による浄化実験をしても,はっきりした効果はないことが分かった。台所などで発生する汚れを少なくすれば,木炭の効果も長持ちするのではないかということに気づき,“雑排水対策”に力を入れるようになった。
よく聞かれた質問は,「木炭はどれくらい使えばいいのですか?」「どのくらいもつのですか?」「使用した木炭はどうするのですか?」というもので,はっきりした解答はなかった。疑問に答えるのが専門家の役割と考え,卒論等で研究を行い,疑問に答えることができた。
東久留米市の黒目川(流量が1秒間に20l,BOD(生物化学的酸素要求量)が1l当たり40rの汚れた川)に木炭を2.5 t入れ,木炭を通過する前後で連続的に水質を測った。通過する前後の数値に差があるうちは,木炭による浄化効果があったと考えると,浄化可能期間は2週間であることが分かった。この結果から,台所での雑排水対策によりBODを半分にすれば,木炭の有効期間が2倍になると考えた。使った後の木炭をどうするかについては,南淺川では乾かして山に戻したが,他のところでは産業廃棄物として焼却処分した。木炭利用の活動から,水質を浄化するには身近な対策が重要であることを学んだ。
市民参加による酸性雨の調査が,全国各地で行われている。この調査は米国の自然保護グループが始めたことであり,雨のpHを測って大気汚染を監視するという活動であるが,そこからヒントを得て府中市などでも市民参加の酸性雨調査を始めた。冬は暖房のために燃料をたくさん使うので,汚れがひどくてpHは低い(酸性度が高い)のではないかという仮説の下に調査を始めたが,夏にpHは低いことが分かった。それは京浜工業地帯で発生する大気汚染物質の影響が冬に比べて夏の方が大きいので,夏にpHが低いと考えた。
ある府中の市民から,1992年製造のメルク社のpH試験紙による値は,いままで使っていた試験紙よりも1〜1.5低く,おかしいのではないかという指摘があったため,メーカーに問い合わせると,製造方法が変更され,雨のように緩衝力の小さい溶液については適さないことが分かった。幸い何人かの熱心な市民が新旧の試験紙で比較していたので,1992年製の試験紙の値から正しいpHの値に補正することができた。
| クリンメジャーで水のきれいさを実測 |
透視度計は底に二重十字のある30pの筒で,その中に測りたい水を入れて,上から透視して二重十字が見える深さ(高さ)を読むものである。水が汚れていれば30pも見えないが,水は次第にきれいになって,「30p以上」という結果しか得られなくなった。きれいならきれいなりに表現できないかと考え,自分たちで130pのアクリル製のパイプを使って“クリンメジャー”をつくり,現地で使用した。長い透視度計を用いることによって,水のきれいさを数字で表すことができた。国土交通省でも,1級河川でこれを利用するようになった。
クリンメジャーの値は浮遊物質の量(SS値)と相関があり,クリンメジャーの値からSS値を推定できるようになった。これは現地で水の汚れを簡単に判断でき,おもしろい方法である。130pの長い筒をのぞいていると,「なにをやっているの?」とみんなが集まってくる。「見えた」「まだ見える」という会話をとおして水に関心をもつことに役立っている。
市民による水質調査を毎年6月の環境週間の日曜日に行ってきたが,2003年で15回目を迎えた。市民の目から見て「10年間やってなにが見えたか」ということだが,1つは水質が改善され透視度も30p以上になったことである。ところが,都市化とともに雨が地面に浸透しにくくなり,湧き水が減り,川の水量が減少した。水量を回復させることは容易ではないが,雨水の浸透マスをつけたり,浸透性の舗装にしたり努力しているが,目に見えた効果はまだない。
また,地球温暖化の影響で水温が上昇したり,いわゆる環境ホルモン等が検出され,10年前にはなかった新たな環境汚染物質が問題になってきた。
| 市民による環境保全活動発展のための6つの条件 |
最後に,これからの課題として,私は民間の助成財団に2つのことを期待したい。1つは,長期的な環境・生態系調査ができるように継続的な研究助成をしていただきたい。生態系の継続的な調査はせいぜい40年くらいのものであり,地球規模の環境変動に対応するためには,長期的で継続的な観測体制を整備し,推進することが重要である。それにより人間活動による生態系へのインパクトとその応答を知り,有効な対策を考え,政策にまで反映されると期待できる。
2つ目は,市民による環境保全・修復活動を積極的に支援していただきたい。市民による環境保全・修復活動は行政との協働により進んでおり,施策に反映されている。いま各地にNPO法人が誕生しているが,小さなグループによる地域での活動も大変活発になっている。しかし,どのグループも広報活動や事務局の経費が十分ではない。そういう市民の活動を支援してより活発化させることも,助成財団に期待する大きなことである。
2003年度は従来のセミナーの内容を大幅に変更し,財団業務全般についての向上を目指した「研修懇談会」,助成分野が異なる財団との情報交換会を目的とした少人数での「ミニ研修懇談会」という二本柱での研修懇談会を行ってきました。
管理職クラス,一般事務クラスに分けた初任者研修に始まり,現在の研究助成のあり方に疑問を投げかけた連続企画「これからの研究助成を考える」,さらに,12月からは,超低金利下の中,積極的に活動資金を確保し着実に助成活動を展開している助成財団の具体例を聴く連続企画「新しい動きを進めている財団に聴く」を開催しました。
また,「公益法人制度改革」や「助成財団からの情報発信: 広報誌のあり方・作り方」「主務官庁による立ち入り検査:最近の例」というテーマでも研修懇談会を開催しました。
いずれの研修懇談会も,“ただ座って話を聴く”というスタイルではなく,出席者と講師が一緒に考える場を設定しました。
民間助成財団の助成事業のあり方を変えていくことは,これからの助成財団の存在を考える意味で,公益法人制度改革にも関連するところです。それには,助成財団からの情報発信,情報の公開の仕方を考えていく必要があるはずです。一見,研修懇談会のテーマには何の脈絡もないようですが,民間助成財団を取り巻く大きな流れを描いてきたと思います。
「ミニ研修懇談会」は,第1回「選考委員会について」から第6回「贈呈式・表彰式の運営について」まで開催しましたが,定員が12名という少人数で,テーマによっては定員一杯となり,同じテーマで再度開催ということもありました。
各財団の助成業務内容の詳細を知ることにより,個々の財団の業務を見直すきっかけをつかんでいただけたのではないでしょうか。
どちらかというと,2003年度は手探りの状態で進めてきたきらいがありますが,2004年度はさらに一歩進んだ研修懇談会を考えています。今後の研修懇談会について,ご意見,ご希望等があれば,ぜひ事務局までお寄せください。
最後になりましたが,ミニ研修懇談会で,財団の会議室を提供してくださった(財)損保ジャパン記念財団にお礼を申し上げます。ありがとうございました。 (研修懇談会事務局)
◇2003年10月31日に研修懇談会「これからの研究助成を考える」の3回目を開催。国立大学を定年退官された後,環境の現場でNPO法人を立ち上げ,“市民研究”というコンセプトで新しいフィールドを開拓しようとしているおふたりの研究者を招き,現場からの声をお聞きした。
◇石田紀郎先生(元京都大学教授)は,アラル海の退縮に長年取り組んできた国際的にも知られる環境問題の専門家で,国内では農薬裁判に関わったことから“省農薬みかんの栽培”を研究者の立場から支援。収穫したみかんが普通の流通に乗らず,省農薬栽培をどう経済化していくか,社会全体としての政策化をどうするか,研究者としてそれにどう関わっていくか,悩み抜いたあげくの結論が,“生活協同組合の設立”であったという。いま,理事長を務めておられるが,その企画力と実践力とバイタリティには,ただただ驚嘆するばかりであった。
◇小倉紀雄先生(元東京農工大学教授)は,水環境に関する日本のトップレベルの専門家で,市民運動について自らの実践を通じて指導的な役割を果たしてこられた。民間財団に期待したいこととして,(1)長期的な環境・生態系調査をするための継続的な研究助成,(2)市民による環境保全・修復活動に対する積極的支援,の2つを挙げられた。いま各地にNPO法人が誕生しているが,どのグループも事務局経費が十分ではない。市民グループが応募できるよう,門戸を少しだけ広げていただけないものだろうか。
(熊谷康夫)