(ボランティア元年から30年を経て)
私たち「広がれボランティアの輪」連絡会議は、1994年に創設されて以来、ボランティア・市民活動の推進を図ってきました。この間に社会が大きく変化するなかで、ボランティアを取り巻く環境も変わってきました。とくに今日の状況については強い危機感を持っています。
1995年、この年は日本において「ボランティア元年」と呼ばれています。1月17日、阪神・淡路大震災による未曾有の被害を目の前にして、私たちボランティアは何かできないかと、自分にできることを持ち寄り、さまざまな活動をしました。その数は約137万人ともいわれています。ただ多くの活動者が集まったからボランティア元年になったわけではありません。
ボランティアは翌日から炊き出しを行い、被災した人たちに寄り添いながら自分たちにできる活動を始めました。できる人が、できることを、できるところで行う。こうしたボランティア活動の柔軟性や迅速性は、復興にむけて大きな役割を果たしました。またこうした支援は行政ではすぐにできることではありません。行政は住民に対して常に公平、平等に対応していくことが求められます。そうしたなかでボランティアと行政が対等な関係のもと、それぞれの役割を果たしていく「協働・共創」が大事であるという認識が広がりました。
日本では、ボランティアはややもすると行政や制度の補完的な役割を期待され、それゆえに上下の関係でみられることが多かったのです。しかしボランティアと行政がそれぞれの存在を認め合い、対等に協働・共創していくことの必要性を経験したことが、その後、特定非営利活動促進法(通称:NPO法)の制定(1998年)へとつながりました。このボランティアと行政との関係構造が大きく変わったこと、そのことをもって「ボランティア元年」と称してきたのです。
(行政とボランティアの協働・共創について)
ボランティア元年から30年、ボランティアを取り巻く社会は大きく変化しました。近年の行政施策のなかで、ボランティアを単なる社会資源とみなし、マンパワーとして安易に活用しようとする傾向が見受けられることを危惧しています。対等であることを大事にしてきたはずなのに、行政がボランティアを動員し、管理し、時には活動を制限したりする、また、専門職が都合よくボランティアを活用しようとする、そのような場面が散見されるようになりました。本来、公的な責任で対処しなければならないことをボランティアに肩代わりさせるといったことを制度や施策として位置づけようとする動きも顕著になってきました。協働・共創といった信頼関係が揺るぎかねない状況にあります。
(ボランティア自身も活動を問い直す時期)
一方、ボランティアのなかにも、行政に依存するような動きもあります。また、ボランティアの側から労働の対価としての「報酬」を要求するような意見も出てきています。
ボランティアは、長い歴史のなかで培われてきた価値にもとづく活動です。今、私たちは改めて、ボランティアとは何か、なぜボランタリーな精神を尊重するのか、その価値や哲学を見つめ直すことが求められています。
(今こそ、ともにボランティアについて考えましょう)
世界を見渡すと、戦争が絶え間なく続き、自国第一主義が席巻するなど、これまで大事にしてきた多様性や公正性、包摂性といった考え方は排除されつつあります。分断と対立が意図的につくり出され、異なるものを排除していく、こういう時にこそ、ボランティアの本当の価値に目を向けていく必要があります。
ボランティアを大切にするということ、そして自らボランティアをするということは、人と人とのつながりを結ぶことであり、すべての人にとって幸せな社会(well-being)をめざして、「私の意志」で行動するということです。ボランティア活動を通して、楽しい時間を共有し、他者とともに生きるという喜びをわかち合い、一人ひとりの尊厳が大切にされる社会を創造していくことが求められています。
「広がれボランティアの輪」連絡会議は、そうした社会を創造していくために、改めてボランティアの今日的ンティアの今日的意義意義について多様な人たちと考え、対話することが必要だと考えます。そについて多様な人たちと考え、対話することが必要だと考えます。それぞれの立場でこれからの社会における協働・共創について、今こそともに考え、ともにボランティアの輪を広げていきましょう。
2025年年4月21日「広がれボランティアの輪」連絡会議
